今村昌平【映画・作品】日本・監督

2021年12月9日

今村昌平(1926年9月15日~2006年5月30日)

imamura shohei

出生地 東京府東京市

カンヌで2度も「グランプリ」を取った、ベルリンやカンヌでの受賞歴がある
日本を代表する巨匠の1人です。
芸術作品を製作する反面「中国超人インフラマン 」などのマニア受けする
特撮ヒーローの企画をしていたりする意外な面もあり、大食い監督とも言われた。

東京府東京市、現在の大塚辺りで産まれ東京高等師範学校附属中学校卒業後
徴兵を避け桐生高等工業学校へ進学、終戦後に早稲田大学第一文学部西洋史学科
黒澤明の映画に感動し、東宝に入ろうとしますが募集が無くて松竹大船撮影所に
入社するも、日活へ移籍、吉永小百合の代表作「キューポラのある街」の脚本
なども書き、1958年に「盗まれた欲情」で監督デビュー

楢山節考(1983年)でカンヌ国際映画祭の最高賞(パルム・ドール)受賞
うなぎ(1997年)で2度目パルムドールを受賞、これは黒澤明でもなしえてない
コッポラなど世界でも8人しか達成していない快挙で、世界の映画史に刻まれ
日本の映画監督の名前として、黒澤と今村が並び認識される事になります。

大食いなどからも長年糖尿病で苦しみ、肝腫瘍で79歳で他界しています。
監督の葬儀ではマーティン・スコセッシが、自分のマスターですと弔文を
寄せるなど世界中で今村映画に学ぶ監督は多く、日本映画大学の母体になった
横浜映画専門学院を設立するなど、映画人を育成にも力を入れた監督でした。

監督脚本製作

年   タイトル
1957年  幕末太陽傳 脚本
1958年  盗まれた欲情  監督
1958年  西銀座駅前   監督原案、脚本
1958年  果しなき欲望 監督
1959年  にあんちゃん 監督脚本 *ベルリン映画祭コンペティション
1959年  地獄の曲り角  脚本
1961年  豚と軍艦  監督
1962年  キューポラのある街   脚本
1963年  にっぽん昆虫記 監督脚本 左幸子・ベルリン国際映画祭日本人初主演女優賞を受賞
1963年  サムライの子  脚本
1963年  競輪上人行状記   脚本
1964年  赤い殺意 監督脚本
1966年  エロ事師たちより 人類学入門 監督脚本 *今村プロ
1967年  人間蒸発 *今村プロ、ドキュメンタリー
1968年  神々の深き欲望 監督脚本 *今村プロ
1968年  経営学入門より  脚本
1968年  東シナ海    企画、脚本、原作
1970年  にっぽん戦後史 マダムおんぼろの生活 脚本 *日本映画新社
1974年  勾魂艶鬼 – From the Underworld  企画
1975年  中国超人インフラマン  企画
1976年  青春の殺人者   製作
1979年  復讐するは我にあり 監督  *今村プロ
1981年  ええじゃないか 監督脚本 *カンヌ映画祭招待作品
1981年  ユリ子からの手紙  製作
1983年  楢山節考 監督脚本 *カンヌ映画祭パルムドール
1986年  君は裸足の神を見たか  プロデューサー
1987年  女衒  ZEGEN 監督脚本 *カンヌ映画祭コンペティション
1987年  ゆきゆきて 企画
1989年  黒い雨 監督脚本 *カンヌ映画祭高等技術委員会グランプリ
1997年  うなぎ 監督脚本 *カンヌ映画祭パルムドール
1998年  カンゾー先生 監督脚本 *カンヌ映画祭招待作品
2001年  赤い橋の下のぬるい水 監督脚本(複数人) *カンヌ映画祭コンペティション
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*配信は予告なく変更する場合があります。

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Posted by J.MAZDA