スタンリー・キューブリック【映画・作品】
スタンリー・キューブリック(1928年7月26日 ~ 1999年3月7日)
Stanley Kubrick
出生地 アメリカ合衆国 ニューヨーク州マンハッタン
2001年宇宙の旅が最も有名な代表作の監督で、時計じかけのオレンジやシャイニング
フルメタル・ジャケットなど有名な作品が多い反面、ハリウッドの製作体制に馴染めず
人間関係も上手く行かない事や、どちらかと言えば引きこもり傾向だった事から
作品数は多くなく、1987~1999年は12年も作品を公開してない時期がある。
N.Y産まれで音楽の道に進もうとしていた中で、1枚の写真が雑誌に売れ写真雑誌の
カメラマンになり、資金を貯めて自身をモデルにした自主制作映画「拳闘試合の日」を
製作、スパルタカス(1960年)で大作を撮るもののハリウッドを去り、イギリスに移住
飛行機嫌いもあり、その後の映画製作を殆どイギリス・ロンドン近くで撮影すると言う
引きこもり傾向の監督で、商業的なエンターティメント作品は略無くアーティスティクな
作品が多い為、批評家からは認められるも、商業的(一般)には公開当時に大ヒットする
作品は無いものの、その作品の独創的視点は年代を超えて映画ファンが観る作品として
長く稼ぎ続ける…異例な天才監督(作品)です。
また、日本の漫画家手塚治虫を評価していて「2001年宇宙の旅」の美術を御願いしたいと
オファーしていましたが、多忙な為実現しませんでした。
更にキューブリックは日本の黒澤明を敬愛し手紙を黒澤から貰った事をアカデミー賞より
大きな意味が自分にはあると名言し、晩年「A.I.」の製作でスティ―ブン・スピルバーグが
キューブリック宅を訪れる中で、スピルバーグも日本の黒澤の凄さを知ったと言われます。
ですがアイズ ワイド シャット(1999年)完成直後に心臓発作で、2001年を待たずに
他界する事になってしまいます。が、S・スピルバーグが受け継いで「A.I.」は2001年に
アンブリン・エンターテインメント、スタンリー・キューブリック・プロダクションズ
の製作で世に出る事になりました。
監督、脚本、製作
年 タイトル |
1951年 拳闘試合の日 Day of the Fight 監督、製作 |
1951年 空飛ぶ牧師 Flying Padre 監督 |
1952年 海の旅人たち The Seafarers 監督 |
1953年 恐怖と欲望 Fear and Desire 監督、脚本、製作 |
1955年 非情の罠 Killer’s Kiss 監督、脚本、製作 |
1956年 現金に体を張れ The Killing 監督、脚本 |
1957年 突撃 Paths of Glory 監督、脚本、製作 |
1960年 スパルタカス Spartacus 監督 |
1962年 ロリータ Lolita 監督 |
1964年 博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb 監督、脚本、製作 |
1968年 2001年宇宙の旅 2001:A Space Odyssey 監督、脚本、製作 |
1971年 時計じかけのオレンジ A Clockwork Orange 監督、脚本、製作 |
1975年 バリー・リンドン Barry Lyndon 監督、脚本、製作 |
1980年 シャイニング The Shining 監督、脚本、製作 |
1987年 フルメタル・ジャケット Full Metal Jacket 監督、脚本、製作 |
1999年 アイズ ワイド シャット Eyes Wide Shut 監督、脚本、製作 |
![]() 出版社: キネマ旬報社 言語: 日本語 ISBN-10: 4873764327 詳しく見る。 |