小津安二郎 【映画・作品】

2021年11月5日

小津安二郎 (1903年12月12日~1963年12月12日)

yasuziro ozu

出生地 東京市深川区万年町(現・東京都江東区深川)

別名義 ヂェームス・槇(まき)*ペンネーム、原作などにクレジットされる。

深川産まれで、小学校の時に三重に引っ越しカメラ好きな子供で絵が上手く
アメリカ映画に刺激を受ける。
親の薦めで商業を学ぶが落第、教員になるも1年で終わる。

1923年松竹蒲田撮影所に入社、同年関東大震災が発生した事からも
蒲田撮影所は、時代劇ではなく現代劇メインの撮影所になる。
*当時はスタッフ・俳優共に○○撮影所の社員として其の撮影所のみで製作する。
1927年「懺悔の刃」でデビューしますが、唯一の時代劇作品を命じられ
完成近く、軍からの予備役召集で作品を離れるます。
サイレント量産時代から、戦争で1年10か月戦地に行く。

戦後は○○組と言うスタイル「小津組」を形成し、独自の小津スタイルで
パンを使わず、固定のローアングルが殆どの作品姿勢を貫き、起用する俳優も
原節子笠智衆など決まった俳優が多かった。

当時の日本映画が海外で上映される事も少ない中で、
東京物語は英国サザーランド賞を受賞。その後内外で評価され多くの賞を受賞。
1963年4月がんセンターにて手術を受けるも、還暦を向かえる誕生日12月12日に他界
原節子は号泣し2015年に亡くなるまで退き姿を見せる事もなかった。
スタッフ・俳優に愛されますが、家庭を持たず生涯独身で監督の墓碑には
ただ「」とだけ彫られています。

監督 脚本

年   タイトル
サイレント作品
1927年  懺悔の刃  監督
1928年  若人の夢  監督脚本
1928年  女房紛失  監督
1928年  カボチヤ   監督   *短編42分
1928年  引越し夫婦  監督   *短編40分
1928年  肉体美  監督脚本
1929年  宝の山 監督
1929年  学生ロマンス 若き日  監督脚本
1929年  和製喧嘩友達  監督
1929年  大学は出たけれど  監督
1929年  会社員生活   監督
1929年  突貫小僧   監督   *短編38分
1930年  結婚学入門  監督
1930年  朗かに歩め  監督
1930年  落第はしたけれど  監督
1930年  その夜の妻  監督
1930年  エロ神の怨霊  監督 *短編27分
1930年  足に触つた幸運  監督
1930年  お嬢さん  監督脚本
1931年  淑女と髯  監督脚本
1931年  美人哀愁  監督脚本
1931年  東京の合唱   監督
1932年  春は御婦人から  監督
1932年  大人の見る繪本 生れてはみたけれど  監督脚本
1932年  青春の夢いまいづこ 監督
1932年  また逢ふ日まで 監督
1933年  東京の女  監督
1933年  非常線の女  監督
1933年  出来ごころ  監督
1934年  母を恋はずや  監督
1934年  浮草物語  監督
1935年  箱入娘   監督
1935年  東京の宿  監督
1936年  大学よいとこ  監督
トーキー作品
1936年  鏡獅子 監督 *記録映画
1936年  一人息子 監督
1937年  淑女は何を忘れたか  監督脚本
1937年 限りなき前進  原作
1941年  戸田家の兄妹  監督脚本
1942年  父ありき    監督脚本
1947年  長屋紳士録   監督脚本
1948年  風の中の牝雞  監督脚本
1949年  晩春     監督脚本
1950年  宗方姉妹   監督脚本    *新東宝
1951年  麦秋   監督脚本
1952年  お茶漬の味  監督脚本
1953年  東京物語  監督脚本
1955年  月は上りぬ 脚本
1956年  早春   監督脚本
1957年  東京暮色  監督脚本
1958年  彼岸花   監督脚本
1959年  お早よう  監督脚本
1959年  浮草  監督脚本    *大映
1960年  秋日和  監督脚本
1961年  小早川家の秋 監督脚本  *宝塚映画
1962年  秋刀魚の味  監督脚本
1965年 大根と人参  原案
1965年 暖春  原作
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Posted by J.MAZDA